ダブルクロス2ndセッション-ダブルクロス@月夜埜市“Doll House Irony”

 土曜日にはるを氏マスターでダブルクロスのセッションが行われました。
舞台は住んでいる場所の違いもあって、全員が慣れている月夜埜市です。
私がマスターでも月夜埜市だったと思う。

 ダブルクロスのシステムについて。

 資源管理のゲームとしては今ひとつ。
浸食率が管理のメインとなるのですが、経験点やタイタスを諦めれば結構なんとでもなるのが。
ダイスロールについても非常に確率計算の難しいルールで、実際にやっていると、対抗ロールなどは相手のクリティカルよりこっちのクリティカルが長く続く偶然を待つといった感じになりがちです。

 シーン制はなかなか面白いなと思います。
シナリオさえあれば初心者マスターでも読み上げるだけでマスターできそうで、マスターの敷居が低く、そしてシナリオ集を出して売ることのできるという点はTRPG業界にとっては悪くないことだと思います。
シーンという区切りを付けることで、作業になりがちな部分を廃して美味しいとこだけ出せていますし、なにより破綻が少なそうです。
しかしシナリオを作って、実際に回すとなると意外に大変そうなシステムではあります。
プレイヤーにとっては、極力平等に主役が回ってくるのはお地蔵さん対策によさそうですし、そんなに深く考えなくても「このシーンはあなたが主役ですよ」って明示は頑張ろうって気になりそうです。

 ただまあ全体にキャラクタープレイを指向する様なルールでまとめられている割に、キャラクタープレイを実際に手助けするとか指針とかが非常に少なく、その点が残念ですかねぇ。

 月夜埜綺譚とは全然別のテクニックを要求されるシステムだという意味で、どっちもTRPGだけど全然別のジャンルのゲームだなぁと最終的に思いました。

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ダブルクロスセカンドエディション買いました

 ダブルクロス セカンドエディション買いました。
まだ全然読んではいませんが、久しぶりに買ったTRPGなので楽しみではあります。

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第一回RPG全国共通一次試験・設問2~の回答

 すでに回答も出ているのに今更アレですが、ともかく進めます。
ちなみに今週来週とリアルで試験があります。
なにをやっているんだか。


設問2: RPGは会話自体を楽しむ遊びであるとされるが、それでは単なる雑談とRPGセッションとの会話には明確な差がないことになる。RPGと雑談を比較した時の、コミュニケーションの“質”の違いについて、あなたの考えを述べなさい。(自由回答)

 回答

 まずは雑談とは何かという定義から始めます。
例えば昨日見たTV番組の話を友人としたとします。
この場合実際に行われているのは、TV番組の内容や感想を話す・聞くことですね。
つまり雑談とは情報をやりとりすることだといえるでしょう。

 TRPGについてですが、情報のやりとりだけでなくゲームを進めるという目的がある点が雑談と違うところです。
TRPGはゲームを進めるという形で会話を楽しむ遊びだと言えます。


設問3: RPGのその“質”の違いがもたらす、RPGのコミュニケーション的特性とは一体何だろうか? あなたの考えを述べなさい。(自由回答)

 回答

 ゲームを進めるという目的意識、ではないでしょうか。
全員にこれが無ければ、セッションは崩壊しますし。


設問4: RPGはコミュニケーションによって進行する遊びだとされるが、実際には他のカードゲームやボードゲームにも、似たような雑談は当たり前のように存在する。一般的な意味でのコミュニケーションは、RPGの専売特許ではない、と言えるだろう。むしろ本当のRPGの特異性は、会話“以外”の要素の欠如、すなわちコマやゲーム盤が存在しないことにある。RPGにいわゆるゲーム盤が存在しないことと、RPGがコミュニケーションによって進行することの2つの特徴の間に、どのような関係があるかを検証しなさい。(自由回答)

 回答

 今までの流れでここも書くと、ゲーム盤が存在せずコミュニケーションで進行するということで、目的や結果の多様化が達成できた、ということになるでしょうか。
しかし書いていてあれですが、この回答だとTRPG黎明期は含まれないですね。
赤箱D&Dしかなかった当時は、ダンジョンアタックしかできず、例えば1レベルパーティならどの程度の広さのダンジョンで、モンスターはどの種類がどれくらいってある程度決まってきますし、そもそもダンジョンアタックの目的にそう多様性があるわけでも無し。
シティーアドベンチャーの概念がいつアメリカでできたのかは知りませんが、それまではその多様性はボードゲームと大差がないですね。


自由欄: 以上の設問に答えた上で、あなたがRPGとコミュニケーションについて思うところを、自由に述べなさい。(自由回答)

 論理展開に失敗したらしい(苦笑)。
しかしながら設問4に「RPGはコミュニケーションによって進行する遊びだとされるが、実際には他のカードゲームやボードゲームにも、似たような雑談は当たり前のように存在する。」とあるのですが、コミュニケーションだけを切り口にしてTRPGと他を差別化するのは無理ですね。
というか私には無理でした。
設問4のカッコ書き部分も、「RPGはコミュニケーションによって進行する遊びだとされるが、実際には他のカードゲームやボードゲームにも、似たようなコミュニケーションは当たり前のように存在する。」が正しいでしょう?
将棋だって棋譜は指し手の意志を表しますよね。
ぼけとつっこみでさえも目的とルールを備えたコミュニケーションの遊びですし。

 私は試験に落ちてしまいましたが、多くの方が良い回答を出しているので探してみてください。

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第一回RPG全国共通一次試験・設問1の回答

 Spoofs RPGの白河堂さんのコラム(?)より。
要望もあったことですし、少し考えてみました。

設問1: なぜRPGは、「コミュニケーションの遊び」「社交的な会話の遊び」と常識のように言われながら、肝心のコミュニケーション技術に関して、具体的な上達方法がRPG畑から提唱されてこなかったのか、「社交的な遊び」であるはずのRPGがしばしば失敗や崩壊の憂き目にあう問題の原因は、一体どこにあったのか。これらの問題について、あなたの考えを述べなさい。(自由回答)

 回答

 まず初めに。
すごろくのすごろく盤、じゃんけんの手の様にTRPGにおいては言葉が世界を形作っていますが、しかしながらごっこ遊びの様にコミュニケーションのみで世界が作られているわけではないです。
TRPGではそれ以外にも様々なものが使われているので、コミュニケーションを利用した遊びではあってもコミュニケーションのみの遊びではないですね。
ひいてはコミュニケーションだけを上達したからと言って、TRPGがうまくなるというわけではないということです。

 ただし、蛇足ですが具体的な上達方法が提唱されなかったわけではありません。
初心者向けルールや講座にはきちんと書かれていたのではないでしょうか。
5W1Hに留意して行動宣言するとか、相手の目を見て聞こえる様にはっきりと発言しましょうとか、相手の話をちゃんと聞くですとか。
今書いたのは基本的なことですが、意外に人間は基本に忠実であることは意識していないとできないものです。
行動宣言で5W1Hを常に念頭においている人は少ない(私もしてません)のではないかと思いますが、基本をおろそかにしていて上達はありえないでしょう。
あともう少しテクニック的なことも見た覚えはあるのですが、ここではそれは設問の中心ではないのでパスします。

 TRPGではコミュニケーション以外の大きな要素に、ゲーム的要素があります。
ゲームでは勝ち負けがあるのはごく普通です。
セッション崩壊はファンブルに近い負けであるという認識です。

 補足

 コミュニケーションとは、感情や考えなどを言葉や身振り手振り・目配せ等々によって相手に伝えることと同時に、相手の発した情報を理解することもまた含まれているわけです。当たり前ですけど。

月夜埜綺譚では、コミュニケーションに関する項目は審判向けガイドの最初の方に少しある程度です。
そこではプレイヤーの話を聞くことと、その中から面白そうだと感じた部分を抜き出すことを重要視しています。
それからコミュニケーションと銘打っていませんが、行為判定のところでプレイヤーは手段と目的を伝える様にと書かれています。
手段は難易度を決定し、目的はロール後の結果を決定するのに使用されます。
個人的にはこの二つを的確に伝えることとマスターの話を理解することがTRPGプレイヤーのコミュニケーションの基本ではないかと思います。

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シナリオ雑感

 先日のセッションの感想などをはるを氏と話したのですが、そのときに出たのがセッション崩壊についてでした。
20回以上あった月夜埜綺譚のテストプレイ中、はるを氏は2回ほどセッションに行き詰まったことがあるのですが、ふたつ思い当たることがあります。

 ひとつははるを氏のシナリオ構造の方が自由度が高いということです。
プレイヤーの様々な行動を想定して設定し、シナリオの7割が使われずにセッションが終わるらしいので、私より遙かに自由度が高いです。
しかしまあそれだけ様々な行動を想定していても、なおかつプレイヤーはその予想を上回る行動を取るんですよね。
あ、あとダイスが予想を上回ったこともあったような(苦笑)。
逆に一本道シナリオならセッションは崩壊しないわけです。
なにせ選択の余地がないわけですから。
もっともこの場合、徹頭徹尾ダンジョン内でも無い限り、一本道を維持するということにマスターもプレイヤーも疲れてしまう様に思います。
私の場合、プレイヤーの行動を予測はしますが、最後の1割くらいの部分でそれを諦めています。
それにいい意味でマスターの予想を超えた行動をどこか期待してたりしますし。
セッション崩壊防止ということに対して、はるを氏がプレイヤーの行動を予測してシナリオで網羅するという手法を取り、私はプレイヤーの行動は予測できないものだとしてシナリオを組むという手法を取っているわけです。
私の手法についてはシナリオ作成法に書いたのでここでは省略します。
しかしまあ私は過去において「強引に結末に持っていく」と言われたことがあるので、その辺が欠点でしょうか。

 もうひとつですが、はるを氏がマスターの時は当然私がプレイヤーで、私がマスターの時ははるを氏がプレイヤーだと言うことです(爆)。

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「火吹山の魔法使い」

 ボーダーフォンライブで、懐かしのゲームブックが復活だそうな。
「火吹山の魔法使い」はやらなかったがゲームブックはいくつかやったことがあるので、なんだかとても懐かしいですな。

http://www.taito.co.jp/mobile/news_mc/2004/mc_9_2.html

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馬場秀和のマスターリング講座私見

 Scoops RPGに白河堂さんが『まず馬場理論に背を向けるところから始めよう』というコラムを載せていたので、この機に馬場秀和のマスターリング講座についての私見を少し書きます。
なお、白河堂さんは非常に真っ当なことを書かれています。
むしろこんな真っ当なことを今更書かねばならないという事実の方に、問題の根の深さを感じます。

 私にとってTRPGは一番目の趣味ではないのでさほど馬場講座に対する世間の評判を丹念にみたわけではないのですが、白河堂さんによると馬場講座は真っ当に評価されていないようです。
実際に私の見た範囲でもそう感じます。
それは何故でしょうか。
たいていの議論では、馬場講座とは何であるのかという前提条件がそもそも間違っている様に思います。
では馬場講座とは何でしょうか。
それは馬場講座の冒頭に書かれています。
第一章の冒頭「マスターリング講座を始めるに当たって」より、
「この講座は、既にゲームマスターを何度か経験している方々を対象に「ゲームマスターとしてもっと上達するには、どのようなことを念頭に置き、何を努力すればよいのか」という疑問に答えることを目的としています。要するに、マスターリング全般に関して「方法論」を提供すること、これが本講座の狙いです。」
また「第一章を始めるに当たって」より、
「本講座では、「RPGはゲームである」という前提の元に、RPG上達のための方法論を提供してゆきます。」
とあります。
つまり馬場講座は、「上達を志すマスター経験者に、ゲームであるRPGのマスターリング上達の方法論を提供する」というのが大前提になっているわけです。
かなり限定された条件であることがわかるかと思います。
それ以外のことは、書かれていないか枝葉末節か、はたまた理論化されていない部分であると断じて構わないでしょう。
ですから、馬場講座からRPG界全体のことであるとかプレイヤーのことであるとかキャラプレについて語るのは、そもそも馬場氏はそんなことを前提にして書いてはいないということに留意すべきだと思います。

 私は馬場講座に関しては、前提条件に従う限り、非常に良くできた論だと思っています。
少なくとも、現時点であれだけ理論化されて入手が容易なマスタリング論は他にはないのではないでしょうか(あるかもしれないですが)。

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TRPGマスターの技量の指標になるのはなんぞや?

 答えを持っているわけではないので問いかけに近い文になってしまいますが。
マスターの上手い/下手の指標になるのはなんでしょうか?
少なくともプレイヤー側から言われる(のではないかと思われる)「セッションの面白さ」は指標たり得ないと思います。
なぜなら「セッション中」のことは、半分もしくは人数分の一はプレイヤーの責任でもあるからです。
シナリオの崩壊率も、マスターの難易度設計もあるものの、その時のプレイヤー次第で崩壊したりしなかったりもするわけで指標にはなりえないでしょう。
プレイヤーという要素の関わらない、マスターの上手さの指標になりえるのは、ゲームの設計能力や演出力になるのかなと思ったわけです。

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お薦めTRPGプレイヤー講座

 月夜埜綺譚ルールブックにも載っているのではないかと思いますが、「初心者のためのRPG入門」はとても参考になります。
是非一度かみしめるように読んでみて下さい。
中級者の方もご一読をお薦めします。
というかこのRPG入門はときどき読み返すくらいの価値があります。

 この「初心者のためのRPG入門」ですが、ここに書かれているのはテクニックではなく基礎です。
基礎というのはつい分かったつもりで疎かにしがちで、実は基礎も出来ていないことに気が付かなかったりするものです。
本当は基礎無くしてテクニックもあり得ないはずなのですけど。
そういう意味で、本当にときどき基礎を確認するために読み返してもいいくらいの文章が書かれています。

 私が基礎の大事さというのを本当に実感したのはオートバイでした。
教習所を出て漫然とオートバイに乗っていましたが、峠を走ったり大型二輪の一発試験を受けたりしていると、実は教習所で習ったことは結構奥が深くて、そして自分はその教習所で習った基本ですら出来てないことに気が付かされたのです。
そんなこともあり、また縁もあって年に数回はライディング講習会に顔を出すようになったのでした。
TRPGも同じで、いや、TRPGの基礎とはなんぞやというのがあまり議論されないことから余計に基礎というものを見返す必要があるのではないでしょうか。

月夜埜綺譚
http://rose.zero.ad.jp/~zah63840/tsukuyono/

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TRPGがうまくなる方法

 更新が滞りましたが、1週間ほど風邪を引いて早く寝るようにしてました。
そして、前回の高速道路二輪車二人乗りに関して賛同して下さった方々、ありがとうございました。

 浅川河畔氏と話していて時々TRPGのマスタリングやプレイングがうまくなる方法として「本を読もう」という話になることがあります。
できればジャンルを問わずにたくさんの小説を読むのが望ましいのですが、なかなか難しいかも知れません。
しかし月夜埜綺譚には巻末の方に参考文献が書かれてある(はず。まだルールブック届いてません(泣))ので、その辺から読むと良いかと思います。

 何故小説を読むとうまくなるのかですが、一つには言葉による演出を憶えるということがあります。
キャラクタープレイをするにしても、自分の言葉で格好良く表現してあげないといけないわけです。
様々な表現に接しておくのは無駄ではありません。
演出ということでは、シーンに対する演出というのもあります。
絵になるシーンとはどういうものか、印象的なシーンにするにはどう行動するべきか、そういったものも参考になります。

 更に大事なことですが、二つ目にはシナリオの展開予想が出来るようになる事が挙げられます。
展開予想というのはちょっと違うかも知れません。
シナリオは一本のストーリーではなく、プレイヤーの行動によって展開は変わっていくものですから、プレイヤーからしてみれば自分のやりたい展開を提示する事が、マスターにしてみれば様々な展開を受け入れることが出来るようになる、というのが正しいでしょうか。
少し話が変わりますが、恋愛話などはギリシアの時代にはほとんどのパターンが出尽くしたなどと言われていたりします。
つまり、大まかなスト-リー展開というのはある程度有限のパターンに分類できると言うことです。
はっきりと認識できなくても、本を読むことで頭の中にこれらが蓄積されていくものです。
まあ外すこともあるでしょうが、一から考えるよりも、頭の引き出しにある例から似たようなのを引き出す方が判断が早くできるのは間違いないでしょう。
TRPGのセッションがリアルタイムで進行することを考えると、判断が早いというのは強みです。

 念のため書いておきますが、マスターが用意するシナリオソースはストーリーではありませんが、終了後に展開を見返したときに美しいストーリーになっている方がよいと思っています。
それを目指すのもTRPGのひとつの側面ではないかとも思います。

月夜埜綺譚
http://rose.zero.ad.jp/~zah63840/tsukuyono/

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シナリオ作成法 追記

 行動原理でシナリオを記述するというのは、市販シナリオでうまくマスターできなかったという経験からきています。
市販シナリオでマスターをしてみようと思われる初心者の方、そこに出てくるNPCや背景についてよく考えてみては如何でしょうか。
シナリオ作成法と題して書いてきましたが、実際に紙やテキストに書いているかというとほとんど書いていないときもありますし、書いても案外セッション中に見なかったりします。
行動原理がきちんと頭に入っていれば、そう困らないものです。
またそれくらいでないとうまく行かないのではとも思います。

 シナリオ作成法と題して書いてきましたが、実のところ、万人にお薦めできる方法ではないと思っています。
あくまで、こういう方法もあるという紹介程度です。
もちろん参考になれば幸いですが。
マスタリング講座に関して言えば、右側の関連サイト欄にあるScoops RPGの中の「馬場秀和のマスターリング講座」が大変優れています。
有名すぎて知らない人の方が少ないかも知れませんが、お読みになっておられない方は是非ご一読下さいませ。

  月夜埜綺譚

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シナリオ作成法-2

 前回のシナリオ作成法の続きです。

4.序破急

 テキストエディターに序・破・急と打ち込みます。
書くまでもないかも知れませんがお話の構成である起承転結の起と承が序、転が破、結が急になります。
私のシナリオ作成法上では、序が最初から初動の情報収集部分の情報を書いておく欄になり、破が発生イベントとそこで発生するであろう情報を書き、急はクライマックスからエンディングにかけてを記述します。

 情報についてですが、月夜埜綺譚ではひとつひとつの情報がおおまかにどのコミュニティで得られるのが妥当なのか考えておきます。もちろん違うコミュニティでも、難易度を上げることで得られる場合があります。コミュニティの相関図がある(はず)のでそれを参照します。
もちろん情報収集でレイズが成功した場合はコミュニティを越えた情報を得ることができるわけですが。

 イベントですが、情報と併せて、プレイヤーがどの様に行動していくかを予測して考えていきます。
イベントにしても情報にしてもプレイヤーの行動を誘導できるわけですが、しかしそれはクライマックスに進むように誘導するのであって、イベントが連続するように誘導する形には作りません。

5.急(クライマックス以後)

 クライマックスもまたイベントです。
ただし、今までのイベントと違って、クライマックスは必ず起こるイベントです。
クライマックスに到達するようにプレイヤーとマスターが努力する様に作っておきます。
クライマックスで設定するイベントはだいたいこんな感じです。
「研究所で人工知能コンピュータと会って、対決したりしなかったりする」
基本的に場所とラスボスが設定されているだけです。
どの様に解決するかというのは設定しません。
またどんな結末かも設定しません。
私は結末はプレイヤーの意志決定に任せるようにしています。
しかし解決手段やエンディングを想定はしておきます。
これはもちろん想定範囲内に収まったときにできるだけ綺麗なマスタリングを見せるためです。

6.まとめ

 私のシナリオ作成法は簡単に言うと、
1.事件を様々な方法で解決できるようにし、固定のクライマックスを迎えて、ラストを意志決定で選ぶというシナリオを、
2.行動原理という法則で記述していく
ということになります。
あまりくどくは書いていませんが、私のマスタリングにおいては行動原理こそが、マスターを助け、シナリオの矛盾や破綻を生み出さない「筋」となっています。

 さて、明日からは更新が滞る予定です。週一回がいいところだと思います。

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シナリオ作成法

 今回くらいから月夜埜綺譚について語るつもりだったのですが、しかしルールが手元に無いというのはどうにも書きにくいのでパスすることにしました。
私が持っているのは最終ベータ版とでもいうべきものなのですが、それすらも出張先に置いてきているので、本当に手元には何もないんです。

 月刊TRPG.NETの12月特集がシナリオ作成特集だったのですが、みんな結構やり方が違う、というか、少なくとも私とは違うなぁと思ったので、ちょっと私のやり方を書いてみることにしました。
私自身、ここのやり方はあまりよくないなぁと思うところもあるのですが、参考になるところがあるかも知れません。

1.発想

 まずネタを考えるところからです。
一番最初に思いつくのは一つのネタであったりシーンであったりです。
こういうストーリーを、ということはないです。
最近だと、コンピュータの恐怖とか主要NPCを殺しちゃえとかある漫画で主人公が幽霊にむかって言った「考えてる考えてる、考えるのーみそもないのに」だったりとか……

2.始めと終わり

 ネタから、シナリオの背景(ことの起こりとか)と、シナリオの結末を考えます。
この時点で、シナリオの最初からクライマックス前までは特に考えません。
シナリオは物語ではないので、ストーリーラインを作って固定する必要はまったくないですし。
特に月夜埜綺譚では、レイズというプレイヤー側からの強力な状況(マスターサイドから言えばシナリオ)への干渉手段が用意されているので、がちがちの一本道シナリオはお薦めできません。
初心者はストーリーの崩壊を恐れるかも知れませんが、実際にはがちがちのストーリーラインを維持するのもまた大変な労力がいるものです。
コンピュータの恐怖を例にしてみます。
「コンピュータが正しく動作することの恐怖を取り上げよう。ある研究所が人工知能コンピュータを作って、そのコンピュータにあらゆる手段を使って人間を模倣せよというコマンドを入力したことにしよう。…中略…最後はもちろんコンピュータと対決、破壊、かな」
といった具合です。

3.行動原理

 背景とNPCをつめていきます。
私がシナリオにおいてもっとも重要だと思っているのが、背景とNPCです。
いや、NPCの行動原理というべきでしょう。
ともかくここを最重点に作り込みます。
先に書いたように、一本道シナリオは月夜埜綺譚とは相性が悪いですし、シナリオ崩壊を防ぐのもかなりの労力を必要とします。
また、よくあるシナリオ集の様なシーン記述式の方法ですと、ダンジョンならさておき、そうでない場合はプレイヤーの行動によってシーンを作らねばならないことが多々あります。
その予定していないシーンからシナリオが崩壊したり、そうでなくてもアドリブに苦労することになります。
そこで、できるだけ様々な状況に対応できるようにするために必要なのが行動原理なのです。
主要NPCなどがこの事件に対してどの様に考え、どの様な理念で行動しているか、を設定します。
このことはセッション時にはシナリオを読み返さなくても済むくらいまで憶えるようにします。
こうすることで、プレイヤーの予定外の行動にも、「このNPCならこう対処するだろう」などと、アドリブもききやすく、また矛盾の少ない筋の通った展開を出すことが出来ます。
何度も書きますが、これが私のシナリオ作成のキモとなる部分です。

 さて、次は4.序破急の予定です。

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TRPG歴を語る理由

 月夜埜綺譚のWebページはこのページ右側の関連サイト欄に当然載せてあるはずなのだが、何故か表示してくれていないのでここに書いておきます。
http://rose.zero.ad.jp/~zah63840/tsukuyono/

 月夜埜綺譚TRPGは冬コミで40部近く売れたらしい。
何はともあれ予想よりも売れたし、めでたいことです。
私も書き甲斐があるというものだし。

 さて。
前回の続きで何故長々と私のTRPG歴を披露したのかと言うことを。
有り体に言ってしまえば、こういう経歴の元に書かれるという表明なわけです。
TRPGには世代があるという話をよく聞きます(もっとも具体的に何が第何世代なのかは知らないけど)。
まあ世代はさておき、何年頃にどの様に始めてどの様に続けたかというのは、TRPGの自由度故に結構考え方に影響を及ぼしていると思うわけです。
そこで私のTRPG感に影響を与えたものを並べてみます。

1.TRPG以前にボードシミュレーションゲームをプレイしていた(と言うのはあまりにおこがましいレベルですが)。
別に戦闘大好き人間になったとか戦術を好むとかではありません。
TRPGが加熱した当時の雑誌がかき立てた様な「TRPGはごっこ遊び」だとは認識せずに、ゲームだと認識していることです。
結果として私がプレイヤーをするときはキャラクタープレイの要素は低いです。
そして、TRPGのシステムというものについて比較的考える方だと思っています。
キャラクター中心に考えるよりシステム中心に考えるというのが簡潔で分かりやすいでしょうか。
良い悪いとか深い浅いではなく、傾向がそうであるということです。

2.TRPGを始めたのがブーム以前だった。
割と重要だと思うことなのですが、うまく説明しにくいことではあります。
少なくともリプレイが氾濫する以前であったこと、初期のD&Dは本当にダンジョンアタックしかできなかったことは、キャラクタープレイから入らなかったということでもあります。
昔々の話で分からない方も多いかと思いますが、スタジオ世界観のリプレイでTRPGを始めた人は、異彩を放ってました(笑)。
やはりプレイスタイルというのは最初に見た何かに影響されるのだと思います。

3.マスターをそこそこした。
ブーム以前からのプレイだったこともあって、TRPGなんて誰も知らないのだから自分がマスターをしないと話にならなかったこともあり、最初からマスターをしていました。
しかし、マスターをしないと見えてこない視点というのは間違いなくあります。
あと、私はマスターとしては中級者だと思っています。

4.94年頃にTRPGをやめて、月夜埜綺譚によって復帰した。
私は94年頃からのTRPG業界の移り変わりやシステムの変遷をわかっていないのです。
2002年春に復帰してからも、月夜埜綺譚しかしていません。
これははっきりと欠点です。
特にシステム比較の様な話をすることがあったりすれば、おかしな事があるかも知れません。

 これらのことを踏まえた上でお読み頂けると幸いです。
まあ細かいことを言えば性格的や趣味嗜好も関係するのでしょうが、その辺は割愛しておきます。
次からは月夜埜綺譚のことに触れていきたいと思います。
もっとも夏コミのコピー本も冬コミの最終製品版も持ってはいないのですけど(苦笑)。

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TRPG歴

 私がTRPGを始める元となったのは、小学生の時に買ったエポック社の「砂漠の狐」だった。
そう、第二次世界大戦物のボードシミュレーションである。
まあさすがにその歳だけにルールも間違えてプレイしていたし、作戦のなんたるかもわかっちゃいなかったし、さらには一緒にする相手もほとんどいなかったのだが。
その後もいくつかのエポック社のシミュレーションゲームを買った(理由は普通のおもちゃ屋にあったからだ)。
その当時には戦術級のガンダムシミュレーションもあったが、あれらには見向きもしなかった。
中学生になり、TACTICSという雑誌に出会うことになる。
あまり詳しくは知らないが、ゲームぎゃざの前身、RPGマガジンのさらに前身である。
まだまだ当時はほとんどがシミュレーションゲームの記事であったが、(多少記憶が曖昧だが)トラベラーの記事だけは継続して載っていた。
世はまだ80年代中頃。
ロードス島戦記リプレイ以前の話である。
高校生になってからTACTICSにたまに出てくるTRPGの記事に惹かれて、最初に買ったのはもちろんトラベラーで、その後D&Dを買う。
しかし当時も相変わらずプレイする人がいないことには変わりなく、弟や友人と何度かやったくらいである。
もちろん私しかルールをもっていないので、マスターをやったのは言うまでもない。
まだまだTRPGが認知されていないころに、何も知らないでやったのだから、面白いとかそういうこともなく、結局TRPGがロードス島戦記によって認知されるまで何年かTRPGをしない時期を過ごす。

 TRPGを再開するようになったのは、90年前後である。
TRPG人気が過熱してきて、TACTICS誌上でもシミュレーションゲームよりもTRPGの記事の方が多くなって来た頃だ。
TACTICSの仲間募集の記事を見て、TRPGサークルに入ったのだった。
サークル自身は短命だったが、サークル内で気のあった人と集まって、毎週のようにプレイしていた。
私はマスター回数はメンバー内では2番目によくやっていた、と思う。
とはいえ10回はマスターしたと思うが20回はしていないと思う。
様々なシステムに興味があって、20-30は集めていた。
で、毎回違うシステムでマスターしていた。

 93年に転機が訪れる。
ホビーデータのPBMに手を出したのだ。
のめり込んだ私は、94年頃に交流誌という名前の月刊同人誌の発行を始めた。
コピー本とはいえ月刊で同人誌を発行するというのは、TRPGをやっている暇がないということになり、TRPG仲間も仕事とか様々な理由で集まりにくくなっていたこともあって、ついにTRPGをやめてしまった。

 そして、2002年。浅川河畔氏が街系TRPG月夜埜綺譚を作り始めたことでまた戻ってきたのである。
この2年ほどのオフセ出版までにテストプレイ20回程度、私がマスターをしたのは7回。
それが私の今までのTRPG歴である。
何故長々とこれを書いたかというと、それはまた後ほど。

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